序章 旅のはじまり
バッハの音楽に初めて触れたのは小学2年生の時、家にあったレコードでたまたま聴いた管弦楽組曲第2番で、メニューイン(※1)指揮バース祝祭管弦楽団の演奏でした。その中にある有名なポロネーズが大好きで、特にその中間部が気に入っていました。この曲は前半と後半はオーケストラと独奏フルートが一緒に演奏しますが、中間部は前半のメロディに装飾を加えて展開されます。その難しそうなメロディをフルートが自在に演奏していくところに、何度聴いても胸がワクワクしたことを覚えています。
今、私がライフワークにしているゴルトベルク変奏曲を聞いたのは、ずっとあとのことです。それは高校1年生の冬のことで、グレン・グールド(※2)のCD(1981年盤)を買って聴いたのが最初です。しかし、その時は、曲自体には惹かれませんでした。グールドの演奏で言えば、寛いだ雰囲気で演奏されるフランス組曲第6番やパルティータ第1番の方が好きでした。
実は、ドイツでペーター・レーゼル(※3)に師事していた頃、ゴルトベルク変奏曲にも挑戦してみようと譜面を開けて練習してみたことがあります。しかし、第1変奏の左手の跳躍や第3変奏の弾き難さに戸惑い、どうもしっくりきませんでした。
ドイツではバッハの宗教曲にも沢山触れることができました。ドレスデンの聖十字架教会で復活祭に演奏されるマタイ受難曲やヨハネ受難曲では、宗教音楽と人々の生活が分かち難く結びついていることを感じましたし、ウィーンで聴いたアーノンクール指揮によるマタイ受難曲やロ短調ミサにも、新鮮な感動がありました。ムジカ・アンティクア・ケルンによるブランデンブルク協奏曲の全曲演奏、イングリッシュ・バロック・ソロイツによるカンタータなど古楽器による演奏にも大いに刺激を受け熱中しました。バッハの音楽にどんどんのめり込みましたが、正直なところゴルトベルク変奏曲は弾けそうにないので、やることはないなと思っていました。
2002年秋にドイツから帰国し、2003年から故郷の埼玉県秩父市でリサイタルシリーズを始めた時も、バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻全曲やパルティータ全6曲など演奏しましたが、ゴルトベルク変奏曲は避けていました。
変化がおとずれたのは、2013年12月のリサイタルシリーズ30回目の時でした。ここでようやくゴルトベルク変奏曲に挑戦することを決心しました。ゴルトベルク変奏曲は30の変奏からなる大作。ゆえにシリーズの30回目を飾るにふさわしいと思ったからです。
練習を始め、曲のことを良く調べていくと、実に面白い曲だと思うようになりました。喜怒哀楽が各変奏に込められているし、カノンや全体を関連づける作曲技法は驚嘆するほかありません。また演奏の難しい変奏などは、逆にやる気を奮い立たせられました。
80分にもなる大作ですし、最後まで興味を持って聴いてもらいたいので、演奏の前に解説を入れることにしました。全体の構成や、どの部分がどのように変奏されていくのかなどを説明することにしたのです。
こうして私にとってのゴルトベルク変奏曲の旅がはじまりました。初演は秩父(2013年12月8日)で行い、そのあと坂戸(同年12月24日)、東京(2014年1月25日)で再演しました。それを聞いてくださったクラシック音楽ファンの公認会計士Oさんが「小細工をせずに正面から取り組んでいるから、この曲は君に合っている。この大作を毎年演奏したらどうか」と勧めてくださり、さらに同曲の勉強会開催とCD録音を提案してくださいました。
次年の演奏会に向けて練習を再開した折、クラシック音楽ファンで国際弁護士のTさんが、所蔵している様々な演奏家によるゴルトベルク変奏曲のCD50数枚を出してくださいました。その中から私が持っていない演奏家による32枚のCDを借りて聞き比べもしてみました。種々のCDを聞いてみると、当たり前のことながらひとつひとつの演奏が多種多様であり、それに耐えうるバッハの音楽の許容力を感じました。特に印象的だったのはG・ソコロフ(1950~)、W・ケンプ(1895~1991)、K・リフシッツ(1976~)、M・ティーポ(1931~)らによる演奏でした。
2015年は1月に東京のB-tech Japan(※4)でゴルトベルク変奏曲の勉強会を開催し、60名の方が参加してくださいました。勉強会のあとは近くの居酒屋さんに移動し、懇親会も行いました。音楽ファンの中には楽譜が読めない方もいるのだから、そのような方にも分かりやすく説明することが大切と思い、音楽用語をできるだけ排し、数字や図解を用いて説明する形を取りました。そして、1月31日に四谷区民ホールでゴルトベルク変奏曲のリサイタルを行いました。
この時の演奏はACCUSTIKAレーベル(※5)よりCD化され、雑誌『レコード芸術』2015年9月号の新譜月評で濱田滋郎氏が「一聴してまず感じることは、髙橋望が虚飾や野心のない、誠実な心情をもってこの作品に接していること。デリケートな漸強、漸弱の呼吸、つまり現代ピアノにおいて可能な表情性をはっきり意識して活用していること」(P.142)と評してくださいました。
ゴルトベルクGoldbergは直訳すれば「金の山」。文字通り宝がたくさん詰まった登りがいのある山なのですが、私にとっては自分の意志で登り始めたというより、周囲から呼ばれるようにして登り始めた山(Calledberg?)でもあります。
旅の途上で得られた気づきの一端を、この連載を通じて記してみたいと思います。
※1 ユーディ・メニューイン(1916~1999)ニューヨーク生まれのアメリカのヴァイオリニスト。幼いことから神童として活躍し、第2次大戦後は指揮活動や音楽教育にも力を入れた。
※2 グレン・グールド(1932~1982)トロント生まれのカナダのピアニスト。バッハのゴルトベルク変奏曲のCDでデビュー、その後のバッハの演奏解釈に大きな影響を与えた。
※3 ペーター・レーゼル(1945~)ドレスデン生まれのドイツのピアニスト。髙橋はドレスデン国立音楽大学でレーゼルのクラスに学んだ(1998~2002)。
※4 B-tech Japan ウィーンのベーゼンドルファー社製ピアノの技術者による会社。ベーゼンドルファーピアノの販売と共に、スタジオを完備している。
※5 ACCUSTIKAレーベル ピアニスト園田高弘(1928~2004)が立ち上げたCDレーベル。自身の録音と共に、若手ピアニストの録音にも力を入れていた。
2019年7月、髙橋 望
Comentarios